どくとるマンボウ航海記

 本書のはじめから終わりまで、筆者は自由である。そして読んでいてとても気持ちがいい。旅は突然はじまる。もともとドイツに行きたかった北杜夫氏は、水産庁の漁業調査船の医師としての採用が決まる。筆者は神経科医であったが、水産庁は大歓迎、当時の勤め先の医局からもすぐに許可を得る。医局の許可を得てから船に乗るのに3日間。そこから大急ぎで荷造りをする。どうやら船に乗ると決めるまで、準備をしていなかったらしい。

 十一月十五日、船は遂に東京湾をあとにする。しかし、船の貨物もまだ追加が必要であった。その日の夕方には千葉の館山に寄り、米を積み込むため一日半停まる。その間に、筆者は陸に上がり、新宿まで足を運び、映画を見ている。

 船の目的はマグロの新漁場開拓であり、寄港するのはシンガポール、スエズ、リスボン、ハンブルグ、ロッテルダム、アントワープ、ル・アーブル、ゼノア、アレキサンドリヤ、コロンボである。

 日本を出て最初に入るのはシンガポール。一日目は意気揚々と街を歩き回るが、酒をしこたま飲んで二日目に入ると、疲れが出てくる。しかし二日目の夕食後に、コステロ氏に、「海に出りゃあいくらでも寝られるんだから」と忠告をうけ、ウイスキーを気付けにもう一度遊びまわる。

 海に出ると、光が恋しくなる。時化の時には、暗闇と恐怖と闘うからだ。まず注目するのは星空である。マラッカ海峡で、南十字星が少ししか見えないというが、ここはまだ北半球である。海と空しかない場所での日の入り、そして、暗黒を進む船の鼻先に突然あらわれる、光の渦。街の光である。

 筆者も船乗りと同様に、また最初のコステロ氏の忠告通り、寄った港すべて陸に上がり、酒を飲む。ヨーロッパの素敵な街を闊歩するが、街を賛美したりはしない。ただ好き嫌いをはっきり書き、誰よりも喜び、悪態をつき、少し遅れて船に帰る。この悪態が非常におもしろい。

 陸に上がると、もちろん子供から大人まで、土産を売りにくる。強気で断る、と決めて挑むが、ついに折れてしまう。切手を交わされて後、酒にしか遣わなかったのは、相当悔しかったのだろう。

 医師としても十分に活躍している。スエズに着いた時には、検疫官をはじめ、頭が痛い、目がおかしい、といって薬をねだる。きりがないのだが、三等航海士(サード・オフィサー)によると、エジプトでは薬が高価で売れるので、仮病をつかって船に貰いにくるのだという。

 ミラノの絵画館での話がとてもおもしろい。「人間の視線には眼力というものがあり、これは絵を見ることを知らぬ人ほど強い。」ブライトナーの『裸婦』は、二人に一時間ほど睨みまわされると、「お尻のあたりの絵具がおよそ半ミリほども凹んでしまったという話である。」

 旅は一九五八年の十一月から五九年の四月末まで。旅の途中には、二次大戦の跡も確認している。ハンブルグのブランデンブルク門には、「門をひらけ!」という大きなポスターが貼ってある。ロッテルダムのバーでは、玉がはいると数字のでるおもちゃで高得点を出すが、次第に周りが静かになってくる。

 やがて筆者もホームシックにかかる。最後の寄港地コロンボでは、カレーが辛かった話を数ページに留め、帰途につく。日本に帰ってからも、次また船にのる人のために奔走するのは、愛嬌である。

どくとるマンボウ航海記

北杜夫

1960

中央公論社

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