八十日間世界一周

Le tour du monde en quatre-vingt jours

 世界一周の旅は、冒険好きな子供は一度はやるぞ!と決心してみるものである。それを超特急で見せてくれるのが、フィリアス・フォッグ氏である。フォッグ氏は、孤独で話があまり好きではない。いつも一人の男の召使だけを抱え、世話をさせていた。

 1872年10月2日、水曜日、フォッグ氏は新たな下男、パスパルトゥーを雇った。そしてその晩から、世界一周の冒険が始まる。きっかけはひとつの賭けである。定期的に通っているクラブで、トランプのカルタで遊んでいたときのこと、クラブの仲間から、80日間で世界一周ができるかどうかという話になった。1869年にスエズ運河が開通、そして同時期にインドの西海岸ロタールから内陸のアラハバードまでの鉄道が開通したからだ。フォッグ氏は80日間で世界一周が可能だと主張し、それに疑問を抱くトランプ仲間と2万ポンドを賭けた。出発は同日夜8時。8時45分に、ロンドンからドーヴァー行きの列車に乗り込んだ。ルートは『モーニング・クロニクル紙』の旅行計画に沿って、ロンドン、スエズ、ボンベイ、カルカッタ、香港、横浜、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドンである。ロンドンからスエズまでの間、パリ、トリノ、ブリンディシを経由する。そして最初の経由地であるスエズ港には、彼を三日前に起きた銀行強盗の犯人だと疑う、刑事のフィックスがいた。

 フィックスがパスパルトゥー、そしてフォッグ氏と出会うのは、偶然のきっかけであった。スエズで上陸してくる乗客をひとりひとり注意してみていると、パスパルトゥーが近づいてきて、領事館の事務所を教えてほしい、と尋ねた。フィックスが、入国するには旅券の記載されているのと同人物であることを認めてもらう必要がある、と嘘をいい、誘導した。フォッグ氏はそれを信じ、領事館に顔を出した。銀行強盗の指名手配にある人相書きにそっくりなフォッグ氏を見て、フィックスの追跡がはじまった。

 パスパルトゥーはお人よしで、フィックスが怪しいと感ずるまでにかなりの時間がかかる。そしてフォッグ氏は名誉を重んじるために、様々な困難に巻き込まれてしまう。フォッグ氏の決断の速さを見られるのは、香港の港である。当初乗る計画を立てていた横浜行きのカナルチック号が一日早く出航してしまったときのこと、フィックスがフォッグ氏に付きまとい、彼を港に留めようと、「つぎの船は、八日も待たなければならないそうです。」とうれしそうにいうと、フォッグしは「べつの船がたくさんあると思いますがね……。」と返す。そしてすぐに船を見つけ出す。すこし遡ってインドを抜ける頃、コルビー村で線路が途切れてしまった。フォッグ氏はすぐに象と象使いに巡り合い、アラハバードに向かう。途中、現地人の生贄の儀式に遭遇する。ここでのフォッグ氏の決断から、パスパルトゥーの活躍が始まる。パスパルトゥーは、自ら知恵を絞り、体を張る。パスパルトゥーが働くのは、ここだけではない後には、大勢の人を救うことになる。そして、フォッグ氏もパスパルトゥーもそんなことは気にも掛けずに旅路を急ぐ。

 最後まで、賭けに勝つかどうかわからない。基本の冒険小説である。賭けの期限は、1872年12月21日土曜日、午後8時45分だ。

八十日間世界一周 世界名作全集 152

Le tour du monde en quatre-vingt jours

Jules Gabriel Verne

江口清 訳

1873 原作

1958 邦訳

講談社版

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