宮城県気仙沼発! ファイト新聞

 2011年3月18日、地震の被害の大きかった気仙沼の避難所で、ファイト新聞が創刊された。編集委員には小学生中学生の女の子4人。第一号の一面には、「電気ふっ活」と大きく書かれた。編集の原則は、明るい話を書くこと。 第二号の一番上には、「ひなん生活は『ひま』ですね!」とある。「おととい、でん気、水が出た。ついた。よかった。」あたたかい豚汁にも感謝をあらわしている。

 編集委員は編集長、副編集長、平社員、アルバイトと役がわかれてくる。新聞は壁に貼り、当然みな読む。そして各メディアがファイト新聞のことを取材に来る。遠くはイギリスからも取材があった。最初は黒い鉛筆で書き、色鉛筆で足していたのが、すぐに文字自体にいろいろな色がつかわれるようになってくる。カメラを手に入れ、最初に掲載したのは桜だった。4月15日の記事である。

 日を追うごとに書き手も増え、入れ替わる。編集委員ひとりひとりのインタビューもあり、読み応えがある。

 これを購入したのは発行されてすぐだったと思うが、記録と発行日にずれがあって不思議である。2011年7月の最初の二週間、合宿で自動車免許を取りに、塩竈に行った。同年卒業間際に大地震があり、その前からのいろいろな事情が重なり、4月より時間に余裕があったためである。自動車学校の通常の合宿のコースであるが、受講生は一人。7月半ば、覚えた道と風景を一人で自由に惜しみながら、コンビニでこの本を手にした。しかし今最後のページを開いてみると、7月20日に印刷、7月30日に発行となっている。理由はよくわからない。

 手に入れた頃は、表紙の明るい写真を眺めながら、気分が乗らずに大切に仕舞っていた。開いてみると、書き手の力強さを感じる。今年、編集者の最年少は17才、最年長は26才になっているだろう。

宮城県気仙沼発! ファイト新聞

ファイト新聞社

2011

河出書房新社

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