幸福論
The Conquest of Happiness
幸福を論じるにあたり、不幸の原因から話を始まる。不幸の原因は、古来繰り返し言われてきた事柄ばかりである。競争、退屈と興奮、疲労、嫉妬、罪悪感、被害妄想、世論に対する恐怖。不幸というのは、いじめっ子と一緒で、それから逃げようとすると、より寄ってくるという性質がある。理由は簡単で、それを見詰めることで、より際立たせてしまうからだ。本書では、不幸に対する療法を示すと書くが、その結果は不幸を見詰め、克服することではなく、幸福を見据え、追い求めることである、ということを改めて考えさせられる。
およそ半ばから、幸福をもたらすものについての話が始まる。要約している例は数多くあるため、気に入った文を紹介したい。
「根本的な幸福は、他のいかなるものにも増して、人や物に対する友情的な関心と呼ばれているところのものに依存している。」
「社会の比較的裕福な階級をとりあげた場所にも、今日の女性をして、前代の彼女たちに感ぜられた以上に、親となることを重い負担とかんじさせる二つの原因が結ばれ合っている。この二つの原因とは、一方においては独身女性のために職業の門が開かれていることであり、他方においては家庭的労働(サアヴィス)が崩壊していることである。」
「親たちはもはやその子供たちに対するその権利について確信をもっていないし、子供たちはもはや彼らのその両親を必ず敬うべきものとは感じていない。」
「白人によって生み出された文明は、たしかに疑いもなく、一つの特質を持っているようである、つまり男も女もこの文明を吸収すればするほど、それだけ彼らが不妊になるということである。」
「自尊心のないところに、どうして真の幸福があり得ようか。そして自分自身の仕事をはずかしいと思っているような人は決して自尊心を持つことができないであろう。」
ラッセルは、最期に中庸の徳についても触れている。まず、それはおもしろみのない教えであり、そしてひとつの真実の訓えであることを認めている。
「賢人は、もちろん、防止できるような不幸のもとに坐することはないだろう。だが、そうかといいて、どうしても避けることのできないような不幸のために時間と感情を浪費するようなこともしないだろう。」
この本は、幸福とそれを運び去ってしまう不幸について、様々な視点から考えている。他の本を読む前に、まずはここに書かれているかどうか、確かめてみるのもおもしろいと思う。
邦題『幸福論』
原題 ” The Conquest of Happiness”
Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell 作
訳 堀秀彦
1930 原著
1969 邦訳 角川文庫